五・一五事件

政党内閣(せいとうないかく)とは、国会、特に日本の国政の場合、両院制を構成する衆議院(下院)で多数を占めた政党、もしくは、連立した政党を基礎として成立する内閣。議院内閣制のもとで、議会の信任を受けて政権運営する[1]。だが、憲法において議会に予算議定権および立法権が認められている以上、現実には政府が議会の多数党を無視して政権運営にあたることは困難であった。

そのため、政権を安定させるには、政府は議会第一党および多数の議席保有する政党との連携が必要であった。その結果、海軍・陸軍、官僚、国家主義団体などを中心に政党政治への不満が高まった。そして1932年5月、海軍青年将校らによる犬養毅首相の暗殺(五・一五事件)と西園寺が軍部・世論の反対から犬養後継に政党党首を立てるのを断念したことをもって政党内閣は終わりをつげた。

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